思ひたえ 待たじとすれば鳥だにも 声せぬ雪の 夕暮の山
−心敬
思いを絶って、もう待つことはないと心に決めてみれば、人ばかりか鳥の声さえもしない、雪に埋れた夕暮の山よ。
寛正四年(1463)、心敬は百首和歌を詠じました。心敬はその自注において、この歌はいつもより少しばかり心深くできたように思うため、心にとどめて見てもらえたら有難いと、そう自らの歌について記しました。また、後に記した『心敬十体和歌』にもこの歌は所収されました。「十体」というのは、藤原定家の歌論『毎月抄』によるもので、幽玄体や長高体など、和歌を十種類、いわゆる十体に分けて論じる形式のことです。
この「思ひたえ〜」の一首は「有心体」に入れられました。これは、心の底から詠み出された歌のことをいいますので、心敬にとっては、かなりの自信作だったと見てよいでしょう。ちなみに、この歌に添えられた題は「閑山雪」というものです。とくに「鳥だにも声せぬ」という部分によって、閑かで冷たい寂寞たる雪山の情景が思い起こされるのではないでしょうか。
ところで、心敬が晩年に記した『心敬僧都庭訓』では、和歌の情緒について次のように述べています。
「雲間の月を見る如くなる句がおもしろく候。(中略)八月十五夜の月のようなるは、好ましからず候。」
つまり、十五夜の満月のような歌よりも、雲間から見える月のような歌の風情を良しとしているのです。そして、この美意識は侘び茶の祖とされる茶人、村田珠光(生没年未詳、1423〜1502説あり)にも影響を与えたと見ることができます。同時代を生きた能楽師、金春禅鳳が記した『禅鳳雑談』という書物には、珠光が「月も雲間のなきは嫌にて候」と物語ったエピソードが載っています。これは「侘び茶」の創始へとつながる美意識として注目されるものです。
珠光は茶の湯の祖として伝えられる人ですが、実はその詳細は明らかではありません。所伝では、奈良の浄土宗寺院である称名寺の僧であったと伝えられているものの、そこを出た後の足取りは未詳で、のちに京都大徳寺にいた一休宗純に参禅したといわれています。ただ、彼の茶の湯の精神を伝えるものに弟子の古市澄胤に宛てた手紙『心の師』というものが残っており、「冷え枯るる」趣について、その心待ちを説いていることに私は着目します。珠光が理想とする茶人とは、よき道具を持ち、その味わいがわかる程に修行し、そして下地となる心が十分にすぐれた後に冷えて痩せていく。そのさまにこそ、面白みがあるといいます。
珠光は心敬の歌に対する姿勢をさきがけとして、その考えを茶の湯に生かしたのではないかと思います。心敬の一首にあるように、思いを絶って、欲や自己愛を捨て去ったあとにおとずれる閑けさ、それこそが「冷え枯るる」境地だったのです。
(根本 知)
※第四首は、2020年12月21日(月)に公開予定です。
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