知:これまで古典についてお話してきましたが、僕は自分独自の書風も、これらとは別に持っています。
昌:ほう。
知:これまでご紹介した古典のほかにも、かなを習う人には必ずお手本として勉強するものがいくつかあります。僕はそれらの中から好きな書風を組み合わせて、自分なりの書風を作って来ました。
昌:具体的にはどんな文字を組み合わせたんですか?
知:ひとつは、「関戸本古今集」です。それをもとに書いたのが、「月やあらぬ」の歌です。かなを始めた頃にさんざん練習したけれど、最近ではもう改めて取り上げることのない「関戸本古今集」を、第七首に自分自身の原点回帰の意味で取り上げました。
昌:在原業平「月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして」。まっすぐ書かれていて、教科書的な感じですね。
知:そうです。ザ・王道の力強さですね。元気よく、はつらつとした線質です。意図的に何かをせず、シンプルにすることで余情を残しました。
昌:シンプルな書と表具であったことが、花と写真チームの花びらを散らすという演出にもつながったように思います。
知:この「関戸本古今集」は、今も僕の書の根底にあります。それと、僕は本阿弥光悦に興味をもって、その研究で博士号を取りましたから、光悦の書風、雰囲気を取り入れています。それから、過去に、「重之集」のある一枚にドキッしたことがあって、以来、その字も念頭に置いています。勉強した色々な古典の中から、この3つの書風を起点に、なんとなく自分独自の字を作っているんです。
僕の書の教室に来てくださる生徒さんにも、いろんな古典の中から最終的には自分の字を作ってくださいね、とお伝えしています。
昌:私も今、根本さんの書道教室で、分からないままにいろいろな古典を書かせてもらっていますね。
知:まずは選り好みせず、基礎となる古典から、いろいろな書風を経験してもらう。その後で、その中から自分の感覚に合う、自分だけの書風を作り上げていくのが大切だと思っています。生徒さんには、お手本を書く僕の字に似ないでね、と伝えています。練習や展覧会などを通して、自分が好きだと思った字があったら、それをテキストやポストカードで十分ですから、そばに置いて毎日見るようにして、まさに座右の銘ですね、だんだんと自分の字が書けるようになって欲しい。
昌:時間がかかりそうですが、その過程も楽しめそうですね。
知:先ほどお話した本阿弥光悦が関係するのは、第六首で取り上げた、源信明の歌です。
昌:「ほのぼのと有明の月の月影に 紅葉吹きおろす山おろしの風」でした。
知:この字は、「本阿弥切」から選びました。「本阿弥切」は本阿弥光悦が持っていたとされる書で、本人の字ではないものの、好みだったのでしょう。
蔦のからまったような古典です。小粒の字が激しく絡まっている。僕はこれは葉っぱの中でも細い蔦と、そこに転じる葉っぱの回転の様と捉えました。風の動きでもあるような、くるくるとした回転の強さがあります。
昌:回転の様子が強く、やや念のようなものさえ感じますね。
知:そうかもしれません。この連載を進めていく中で、「本阿弥切」を改めていいなと思うようになり、この字を集中的に書きました。そして最近では、自分の書の中に、さらにこの雰囲気を入れていきたいと考えるようになっています。この雰囲気を嫌味なく、自分の作品に活かしていければと思っています。
昌:独自の書風も進化するんですね。
知:では最後に、阿倍仲麻呂の「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山にいでし月かも」をご説明しましょう。唐に渡った阿部仲麻呂が、故郷の奈良の春日山を思って書いた歌です。
昌:金地が豪華で印象的な仕立てですね。
知:どの紙に書くのかは、いつも僕から提案しているのに、この紙だけは田さんからの提案でした。屏風か何かに使われていた紙を剥がしたものです。下の方のかすれや台形のいびつな形が遣唐使船のイメージにもつながると考えて、そのまま活かすことにしました。
それまで茶会の掛け軸は、中国の高僧の墨跡が一般的でした。ですが、紹鴎が初めて茶掛として使ったこの和歌は、定家が書いた仮名書でした。その後、月ひとつで、全ての人が持つ望郷の心を示すことができると利休が評価した、「一座建立」の象徴的な歌です。
昌:ではこれは定家風に書かれたんですか?
知:この軸では初めて、ひとつの古典ではなく、2つの古典を融合させたんです。ひとつはもちろん藤原定家です。定家は鎌倉時代だから厳密に言うと平安の古筆ではありませんが、字がうまいわけではないのにみんなに愛されて、現代の茶人たちにも人気があります。ただ、字だけを見ると派手じゃなくて、こう、まるまる、ころころとしています。そこで定家の字に、僕の研究分野でもある光悦の字を融合させるように書きました。
定家は丸く、ぽてっとした字。光悦は太いところと細いところの差が大きく、ぱりっとしている。このふたつを合わせながら、船のイメージで、底が丸くなるよう字を散らしました。不安定なイメージが出るように。この字が、今僕自身の書風としているものに一番近いと思います。
昌:書家の方は、いろんな書風を使い分けたり、融合させたり、自分の中で変化させていったりしているんですね。
知:古典を振り返っての様々な書風表現も、この軸でいったんひと段落しました。この先の書はまた違う選び方をしていますが、それはいずれ機会があれば、お話したいと思います。
昌:これまで見えていなかった、歌と書の関係が見えてきたような気がします。ありがとうございました。
知:ありがとうございました。
(文:山平昌子)
※第十首は、2021年7月22日(木)に公開予定です。
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