知:昨日は古典の持つ、葉っぱのようなエネルギーをもとに選んだ歌についてご説明しました。今日は、字そのもののエネルギーに加えて、その古典や、書いた人の由来も考慮した作品についてお話しましょう。まずはこちらの第四首です。
昌:「同じ野の露にやつるる藤袴 あはれはかけよかことばかりも」。源氏物語のお軸ですね。
知:この歌を選んだ時、同時に「和泉式部続集切」の字を使うことを決めていました。「和泉式部続集切」は和泉式部が詠んだ歌を集めた古典です。和泉式部は紫式部と同じ時代に生きた女性で、彼女の歌には恋、それも失恋の歌が多い。数々の恋をした源氏と通じるところもあるので、和泉式部の古筆がいい、と思いました。髪の毛がふわふわっと揺れるような、くるくるとした細い回転が、たおやかに優しく絡まるような書なんです。
昌:表具や料紙の雰囲気とあいまって、憂いの中の儚い恋の予感を感じます。
知:さらに人を意識したのが、第三首と第五首です。
昌:第三首は、心敬の「思いたえ待たじとすれば鳥だにも 声せぬ雪の夕暮の山」でした。
知:歌の持つ目線を想像すると、第一首は、足元の小さな植物、第二首では、浦の苫屋、第三首で山と、だんだんと目線が上がって、目に映る風景が広がってきました。ですからこの歌は、それまでの二首よりももう少し、ラフにゆったり書きたいと考えたんです。古典の中で、字の造形にあまりこだわっていなくて、肩の力を抜いて書いた人って誰だろうと考えた時、藤原定実が浮かびました。
学生時代、僕はこの人の字の何がいいんだろうと感じていたんです。実際、彼を研究している人なんて周りにもいなかった。でも指導者になってみてもう一度見直すと、「あれ、もしかしたらこの人って、字の造形よりも言葉をすごく大事にした人じゃないのかな」と思うようになったんです。
その証明のように、定実は、古今和歌集の仮名序を全部書いています。そのことからも、きっと歌にも丁寧な向かい方をしていたんじゃないかと思った。そして定実の肩の力が抜けた枯淡な字が、この歌の静けさとも合っているように感じて選びました。
昌:最後の山の字がふわっと浮いているのが印象的ですね。
知:字が派手ではないので構成の中での遠近感を出したくて、雪の夕暮れが手前に来て、山が向こうに見える、というイメージで書きました。
昌:では第五首はどうでしょう。「明くる夜の月と花とのあはれをも ただおしこめてかすむ春かな」。正徹の歌でした。
知:本文では、型の話をしましたね。説明の中で飯尾宗祇を取り上げているのですが、宗祇は型を重んじて、歌の聖地である歌枕を辿っていくという旅をした人です。
そういう姿から、この歌は藤原定信の字にしようと思いました。藤原定信は、先ほどの藤原定実の子どもです。僕がなぜ彼を好きなのかというと、定実と同じように字の形がすごくいいわけではないけれども、とにかくたくさんの文字を書いたんです。一筆一切経と言いますが、人生でお釈迦様の経典すべてを書いた、平安時代では唯一の人なんです。経典全5048巻を独力で23年の月日を書けて書き終えたといいます。さらにこの人は「和漢朗詠集」や「三十六歌仙」の和歌、さらには「万葉集」まで書写しています。
昌:すごく疲れそうです。
知:そう、だから彼は、疲れにくい書風を生み出した。ジャンプするような、小粒でぽんぽんと叩くような書風です。ふところがすごく広くって、なんか気楽に書けるような。明らかに、形を人に見せるために書いたようなものではありません。人にどう思われようとも、自分が楽な字で、自分が好きなものを書く大切さを改めて気づかせてくれた。それが飯尾宗祇の歌枕を辿る姿勢と重なることがあって、定信の「万葉集」風に書きました。加賀の前田藩にあったから「金沢本万葉集」という名がつきましたが、今は宮内庁の三丸所蔵館にあります。
昌:そう言えば、この春に出版された根本さんの「書の風流」も、建築家や彫刻家など、書家ではない人の書に注目していた書でした。書に対する姿勢や生き方が、書にも反映されるんですね。
知:はい、よろしければぜひ読んでみてください。
明日は、書家がどのように自分の書風を作っているのかを伺います。
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