滝の音は たえて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ
-藤原公任
滝の音が絶えてから随分と長い年月が流れましたが、その名声は今もなお 世間に聞こえています。
藤原公任(966〜1041)は、文章・和歌・管弦など、非常に多才な人物で「三舟の才」と称えられました。寛和2年(986)の内裏歌合では、若手貴族の代表として藤原道長、藤原斉信らと共に選出されていることから、青年時代から互いに交友があったことがわかります。
今回取り上げた和歌については、長保元年(999)九月十二日の藤原行成の日記『権記』に詳しくあります。この日、左大臣であった道長は公任や源俊賢などを伴い、大覚寺の滝殿や栖霞観、大堰河畔に足を運びました。そして大覚寺において「初到滝殿」という題で歌を詠じたのです。
「大覚寺に人々あまたまかりたりけるに、古き滝をよみ侍りける 右衛門督公任」
『拾遺和歌集』の詞書にはこのように見え、歴史ある滝に目を向けた公任の様子が浮かび上がります。
公任は詩歌の撰者としても有名で、白楽天や元稹をはじめ中国詩人の名句と、日本人の優れた漢詩を選び、さらには和歌の秀歌を並べて構成した『和漢朗詠集』を編みました。
これは、公任の娘の婚姻を結ぶ際の引き出物として、朗詠に適した和漢の詩文を選んだとされ、能書の藤原行成が清書し、冊子となりました。古き「滝の音」を想像し、その名声を偲ぶことができる公任だからこそ、あらゆる古典文学の名声に耳を傾けて後世に残すべき「うた」を選ぶことができたのだと思います。
―仮名遣い―
たき(支)のお(於)とは(者)た(多)え(衣)てひさしくな(奈)りぬれ(禮)と
な(奈)こそ(所)なか(可))れ(禮)てなほ(保)き(支)こえ(衣)け(介)れ(連)
(根本 知)
今月の御菓子:幻流
蜜漬け大納言で抹茶あんをくるみ、淡雪羹で水の流れを表現しました。
紫に染めた道明寺に、時が経っても続く名声を願って。
菓子製作 巖邑堂(浜松)
中廻し:八色間道
天地:花唐草紋
軸先:白檀
「滝の音」から連想したことと、本紙の扇面型もより良く見えるかと思い「間道」という縞の裂地を選んでみました。
(岸野 田)
※次回の更新は、9月上旬を予定しています。
Comments