数ならで心に身をばまかせねど身にしたがふは心なりけり
-紫式部
物の数にならない私の身では、思い通りにすることなどできないが、それでも身に従ってゆくものは心であることだ。
紫式部は「身」と「心」の関係に深く目を向けた人物でした。『源氏物語』では「空蝉」や「明石」において、身分の低さや、取るに足らない身の上を言い表すものとして「数ならぬ身」の語を多く使っていますが、それは自身の身上の投影もあったことでしょう。
古歌では「数ならず」は「身」に掛かる言葉で、恋の歌であっても卑下の表現として用いられました。 そのような言葉からはじまるこの歌は、紫式部自身が境遇というものを心のままに、そして思い通りにすることなど到底できないと理解したこと、また、むしろ境遇に流されてしまうのは「心だけは自分の思うまま」と信じていた、その「心」であったという告白なのです。
流されていく自分の心をも客観的に捉えられている点で、卓越した眼差しを持っていたことが分かりますが、その姿勢こそが、その後千年もの長い間読み継がれる名作『源氏物語』を生んでいくのでしょう。
―仮名遣い―
かず(春)な(那)らでこゝろにみ(身)をば(盤)ま(万)かせ(世)ねど
みに(尓)した(多)が(可)ふはこゝろなりけ(介)り(李)
(根本 知)
今月の御菓子:紫雲
練り切りを使い、千筋の短冊・流雲の短冊2つを重ね歌の心情を表現しました。
表面に浮かぶ模様は藤袴を見立てています。
菓子製作 巖邑堂(浜松)
中廻し : 鳥の子に箔散らし
天地 : 明治期綿の裂地
軸先 : 螺鈿
本鳥の子紙に、箔を破って貼って自作しました。銀箔は焼けて、そのうちに真っ黒になります。金と銀で輝いているのは、今だけの短い時間です。
(岸野 田)
※次回の更新は、11月上旬を予定しています。
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