ほのぼのと有明の月の月影に 紅葉吹きおろす山おろしの風
−源信明
ほのかに明けゆく有明の月の光の下に、紅葉を吹きおろす山おろしの風が吹く。この和歌を詠んだ源信明は、三十六歌仙のひとりにも数えられた平安時代中期の貴族でした。「ほのぼのと」という語は、現代ではどことなく温かみが感じられる表現に使われがちですが、実は暗い状態にやや光がさしてくる様子だったり、ほんの少ししか光がなく薄暗いさまを意味します。つまりこの和歌は、ぼんやりとした奥深い情景の傍で、山から吹き下ろされた冷たい風によって、情緒的な紅葉が一掃されたという意味合いのものとなります。
この歌を重要視し、これを常に胸に置いて和歌というものを案じるといいといったのが、第三回の連載「冷え枯るる」でも取り上げた心敬でした。彼は『ささめごと』という連歌論書を著わしましたが、そのなかで、歌を詠む際には「枯野のすすき」と「有明の月」のような風情を心掛けよと書き留めました。その例のひとつが、冒頭で紹介した一首です。つづけて次のようにいいます。
「言わぬところに心をかけ、冷えさびたるかたを悟り知れとなり。境に入りはてたる人の句は、この風情のみなるべし。」
その道をきわめた人の句は、言わぬところに心をかけた「冷えさび」の風情であると心敬は説きました。この美意識は彼の連歌論の支えの一つとなりましたが、それを理解するうえで必要なのが「冷え」という概念を知ることです。
「冷え」を紐解くためには、能楽の大成者として知られる世阿弥の教えに耳を傾けるのが良いでしょう。彼が著した『花鏡』には、格別に取り立てていうべき面白さはない能であるのに、そのさびさびとした演技のなかに、なにか人の心に迫るものがある、それが「冷えたる曲」だという記述があります。
また、同じく世阿弥の書いた『九位』という書物に目を向ければ、彼は「銀の垸(わん)のなかに雪を積む」姿に美を見出していることがわかります。それは視覚的にも触覚的にも同調して違和感のないさま、つまり平淡であることを例えたものでした。加えて『申楽談儀』では、当時名人とうたわれた僧阿という人の芸について、ありさまも無く、さっと演技に入ることができるため、それを「冷えに冷えたり」と評価しています。以上のことを踏まえれば「冷え」とは、平淡で取り繕うところがないさまだと理解できます。
さて心敬は、世阿弥の「冷え」を基盤として、この価値感覚を連歌にも活かそうとしました。彼は、心や言葉が少ない句にこそ秀逸なものがあるといいました。それは無関心ということではけっしてなく、対象への捉え方が端的で、かつ、的確であることを指します。心に適わぬ不自然で華美な表現は避け、純粋な眼差しで歌を詠みたい。心敬はさまざまな語録を残しましたが、なかでも「つくるよりは捨つるは大事なり」(『ひとりごと』)というのがあり、これこそ彼の行き着いたひとつの答えだと、私は考えています。心敬が詠う連歌の発句には「朝ぼらけ霞やちらす花もなし」のように、打ち消しを用いた表現も多く見られます。この、捨てることの大事さを心敬は、源信明の「有明の月」の和歌に投影し、自身の心に留めていたのでしょう。
以前に「さび」とは、煩悩を消し去った境地「空寂」だと述べました。したがって平淡である「冷え」から、さらに消え去る趣に目を向けたのが「冷えさび」となります。「紅葉」の美しさには古来多くの歌人が心を奪われ、かつ詠われてきましたが、源信明の和歌はそれが一気に吹き下ろされます。「冷え」によって雅さは掃われ、そして「ほのぼのと」した情景だけが残るのです。まさにこの和歌は「冷えさび」たる趣といってよいでしょう。
心敬はさらに、「冷えさび」たる趣が、後々にまで長らくつづく様子を「冷え枯るる」と表現しました。この考えは珠光の茶の湯にも強く影響を与えたと以前に述べましたが、此度取り上げた「冷えさび」という概念は、茶の湯の世界で重んじられる「冷え枯るる」に先立つ美意識として注目すべきものだと私は思います。
(根本 知)
※第七首は、2021年4月20日(火)に公開予定です。
うたと一服
岡山のお菓子屋さんの、柚子の琥珀羹を選びました。光に透ける色あいが、しんとした夜空に輝く月のようです。
月香(御菓子司 笹屋友宗)
(山平 昌子)
表具:鳥の子紙、焼き銀箔
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