top of page

この世ば

この世をば我が世とぞ思ふ望月の

欠けたることもなしと思へば

 -藤原道長



この世で自分の思うようにならないものはない。満月に欠けるもののないように、すべてが満足にそろっている。 



この歌は藤原実資の日記『 小右記』に書き留められています。道長の三女・威子が後一条天皇の皇后になったことを祝う宴の二次会において詠まれたとされ、座る隙間がないほどの賑わいだったといいます。


道長は実資に、これから詠む歌に返歌するよう命じます。そして、盃が一巡したのちに「望月の歌」を詠いました。それに対し実資は、優美な歌のため返歌のしようがないと前置きをした上で、皆で道長の歌を詠じるよう呼びかけます。一同は声を合わせて吟詠し、道長は実資を責めることはありませんでした。



さて、実資が返歌を拒んだ理由を、先学では道長の権勢に対して内心あきれたからだとされてきました。しかし、近年の研究では、この和歌が詠まれた当日が十六夜の月だったことに注目し、満月と詠んだ不自然さを指摘するものがみられます。道長は得意満面にわが世の春を謳歌したわけではないというのです(『道長ものがたり』(山本淳子著/朝日選書/朝日新聞出版)。 「この世」と「この夜」を掛け、世の中が自身の心ゆくものであり、また、今宵の素晴らしさを詠ったのが真意であったと。



「ひとつの家から三人の后が誕生するのは未曽有のこと」だと『小右記』にも記されていますが、それを「欠けたることなき望月」と表現した道長。そして実資は、これからも道長・頼通父子を支えていく意思を示すため、「盃」と「月」が掛けられた「望月の歌」を皆で唱和するよう呼びかけたのでした。




―仮名遣い―


この世をは(八)わかよとそ(所)おもふ もちつきの

かけ(遣)た(多)る(累)ことも(裳)な(那)しとお(於)もへは(盤)


(根本 知)



今月の御菓子:栄月華




満月の月影の元で行われる、華やかな貴族の宴を、練り切りの色と形で表現しました。



菓子製作 巖邑堂(浜松)



 

一文字:二重蔓小牡丹文金襴

中廻し:鹿草木金紗

天地:古代絓

軸先:骨



歌の「望月」の言葉から、鹿文様を選びました。今年はじめのに取り上げた、「めぐりあひて 見しやそれともわかぬまに 雲隠れにし夜半の月かな(紫式部)」を意識した横長の構成にしました。


(岸野 田)



※次回の更新は、12月上旬を予定しています。

Comments


bottom of page