top of page

見立て

盛夏不銷雪 終年無尽風 引秋生手裏 蔵月入懐中

−白楽天



盛夏に銷えざる雪

終年尽くること無い風

秋を引いて手の裏に生る 

月を蔵して懐の中に入る


真夏にも消えない雪と年中尽きることのない風。手にとれば涼しい秋が手のうちに生じて、月もすっぽりとおさまって懐に入ってくる。


唐の詩人、白楽天(772〜846)は白くて丸い羽の扇をこのように喩えて詠みました。彼は、当時の詩壇を席巻した随一の詩人として知られ、世の不正に対して憤った「諷諭詩」や、日々の幸せを慈しむ「閑適詩」、また、玄宗と楊貴妃の愛の賛歌として有名な「長恨歌」など、多彩な詩を生涯にわたって残しました。


白楽天の詩はその後日本へと伝わっていき、多くの歌人に愛好されます。たとえば、はじめに掲げた詩は、藤原公任によって『和漢朗詠集』夏部 最後の項目「扇」に収められています。この「扇」という部立は、夏から秋へ、季節の橋渡しをしようと公任が工夫したものです。その始まりにこの詩は置かれました。


先学によりますと、この白楽天の詩の背景には班婕妤の「怨歌行」があるといわれます。前漢時代の皇帝である成帝の、その寵愛を受けた証として豪華な白絹の扇を賜りながらも、その後、他者に寵愛を奪われてしまった班婕妤。実は『和漢朗詠集』に取られたこの詩は、白楽天が詠んだ「白羽扇」の詩の一部分であって、全文を読めば班婕妤のことを示す一節が見られます。しかし、公任はあえて一部を取り出して採用し、涼感へとつながる白楽天の卓越した「見立て」のみを際立たせたのです。


白楽天に魅了されたのは公任だけではありません。かの紀貫之も白詩を学んだひとりです。貫之の和歌には、漢詩的表現を意識的に用いたものが数多くあって、とくに「見立て」の表現にもそれは生かされています。たとえば鶴を雪になぞられえたものが次の和歌です。


「我宿の松の木ずゑにすむ鶴は 千世の雪かと思ふべらなり」


このような表現は他にも六首ほど認められ、概ね公的な場で披露される歌において使われましたが、貫之と同時代には鶴を雪と見立てたものはなく、彼独自の表現とされていました。しかし、その後の国文学研究によって、古今集以前に成立した唯一の撰集である『新撰万葉集』197の、その和歌に並列された漢詩において、雪を鶴と見紛う表現があることが分かりました。さらにそれは白楽天の詩に基づくものだと指摘されます。つまりは、白楽天を源流とする漢詩の表現を、紀貫之はいち早く取り入れて自身の和歌に生かし発展させていったのです。



ところで、白楽天の詩における第一の特徴は「平易さ」にあります。当時の中国詩は、語彙や配置が高度に規範化されていて、その型に従うことが一般的でした。それを破ろうと、あえて難しくわかりにくい文章を好む一派も現れましたが、白楽天はむしろ平易さにこだわりました。彼は詩を作るたび、年老いたお婆さんに理解できるか確かめ、わからないといわれた場合には書き改めたという逸話が残っています。また、世間では白楽天はやすやすと詩を作ったといわれますが、彼の詩の草稿を見た者によると、そこにはさんざん手が入れられており、完成した詩は初稿とはまるで違っていたそうです。私は、この白楽天が心がけた「平易さ」が、後世まで様々な見立てを可能にする柔軟さ、懐の深さに繋がったと考えています。


(根本 知)





※第十一首は、2021年8月23日(月)に公開予定です。


 

うたと一服



巖邑堂さんにうたをイメージしたお菓子をお願いしました。

羽に透ける月影と四季を映す色合いが、手のひらに収まるほどの扇の中に表現されています。


菓銘 白扇(浜松 巖邑堂)


(山平 昌子)



 

表具:変わりパネル屏風 龍に牡丹紋和更紗

同様の作品を、ご希望の歌やお手持ちの裂地で作成いたします。

お気軽にご相談ください。

 


Comments


Commenting has been turned off.
bottom of page