秋もはや ばらつく雨に 月の形
−芭蕉
「昨日から ちょつちょと 秋も時雨かな」
「ちょつちょ」は「ちょち」ともいい、江戸時代からある手遊びうた「ちょち ちょち あわわ」などでも使われた、当時ではよく知られた言葉です。手を叩く意味の「手打ち」が幼児語的に変化したものといわれますが、この句では、秋に入って時雨がぽつぽつと降る様子がまるで手打ちのようだと捉えたのです。とても愛らしい、ある意味では稚拙とも感じられるこの句は、最終的にはまるきり違う形となります。それが今回取り上げる、「秋もはや ばらつく雨に 月の形(なり)」です。
実はこの句は、芭蕉没前わずか二十日余に詠まれたものです。それから亡くなるまでの短い期間に、芭蕉は何度も推敲を重ね、のちの俳壇においても「芭蕉十句のなかにも屈指すべき名句」といわれる形にまで押し上げていきました。「句、調はずんば、舌頭に千囀せよ」と弟子に説いた芭蕉。「舌頭千囀」とは、何度も何度も口ずさむことによって、把握と表現との間を行き来することをいいます。
秋への移り変わりをばらつく時雨で捉えた芭蕉。その原案をもとに推敲を重ねることで、自身の感動を客観視していきます。これは昨年、源氏物語の軸を取り上げてお話したような、「あはれ」から「もののあはれ」へと転じていった動きと同様の思考性を感じます。雨の降り方の変化に気づいた芭蕉は、その感動から一歩下がって冷静に季節の移り変わりを鳥瞰しました。すると、月の形も秋らしくなっていることにも気づきます。彼にとって伝えたい心の感動は、「ちょつちょと降る雨」からより大きく、普遍的な景色へと昇華されていったことが分かります。
さて、このように「舌頭千囀」、つまり推敲を重ねることを芭蕉は「しをり」と言い表しました。現代の発音をもとにした場合、その表記は「しおり」となりますが、これを辞書で引いてみると「撓り」または「枝折り」という漢字が当てられています。また、「撓り」の意味は「ため曲げる」ことで、「枝折り」は無論、枝を折ることです。江戸の俳人である二葉子の詠んだ「句作りにたをりしをりぞ梅の花」という句は、「たをって(手折って)」「しをる」さまが句作りに推敲することだと教えてくれます。
さらに、芭蕉の門弟の去来は「しをり」について、その本意とはその本意とは、「句の姿」を捉え、「句の余情」を最大限表現することにあると付け加えています。つまりは、感動の種を見つめ直し、そこから無造作に伸びた枝葉を裁ち落としていくこと。されどただ綺麗に切ってしまえばよいということでもありません。その立ち姿が鑑賞者の心の琴線に触れるように仕上げていくのです。
(根本 知)
うたと一服
涼やかな虫の声を聴きながら、月を愛でる季節となりました。
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