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かるみ

 坊主子や 天窓(あたま) うたるゝ初霰 

 −不玉




はじめての 霰(あられ)をおもしろがり、外で駆け回っているのは頭をクリクリに丸めた坊主の子。弟子である不玉のこの句に心動かされた芭蕉は、すでに宗匠稼業を廃していたのにも関わらず、思わず筆を執ります。元禄六年頃、世の俳諧が作り手の心情を露骨に盛り込むようになり、句体が重くなってきていると嘆いた芭蕉。だから自分は、なるべく主観的な句にはせず、むしろ客観的な視点で詠むことにしていると不玉に告げます。それとともに、東北の辺鄙な土地からこのような風雅を見せしめられるとは、心から感心なことだと褒めました。芭蕉がここまで讃美した理由は、彼の俳諧の最終段階として示した「かるみ」の境地がこの句に見えたからでしょう。



芭蕉が「かるみ」を提唱したのは、「おもみ」を破るためだったといいます。「おもみ」については先学によって様々な考証が行われていますが、まとめれば深く考えすぎたしつこさ、理屈っぽく説明的であったり、古典に依拠しすぎたものをいうのかと思います。


具体例をひとつ挙げれば、杉風の句に対する芭蕉の手直しがわかりやすいでしょう。


「がつくりと 身の秋や歯の ぬけし跡」 --杉風


この句は、歯が抜けたあと、がっくりと我が身の老いを感じた様子を、葉の落ちる季節「秋」と重ね合わせたものです。一見して上手な句と思われますが、これに対して芭蕉は、理屈っぽく説明的だと感じました。そして、次のように朱を入れたのです。


「がつくりと ぬけそむる歯や 秋の風」


落胆する主観的想いが薄れ、そのかわりに、心の動きを秋風に添わせることで随分と軽くなった印象です。このような「おもみ」からの脱却、そして「かるみ」の探究は、いうなれば「新しみ」とも不可分な関係といえます。


ただ皮肉なことに、この「かるみ」の風に従わなかったのが、芭蕉門人の古参、其角と嵐雪でした。以前、芭蕉はこの二人に対して絶大なる信頼を寄せ、「草庵に桃桜あり、門人に其角、嵐雪あり」と書簡に書き留めるほどでした。ところが急転して、芭蕉における二人の評は手厳しいものとなっていきます。不玉に送った手紙のなかでは、卑俗な点取りにうつつをぬかす江戸の「邪路の輩」として両者の名を仄めかしています。そこには、其角、嵐雪が「かるみ」を示した芭蕉に対して距離を置いたからに他ありません。なにより「業俳」、すなわち職業的な俳諧宗匠となった二人にとっては、これまでの教えを捨て去るようなことが、どうしてもできなかったのです。


「鶯や 餅に糞する 縁の先」 --芭蕉


かの『古今和歌集』の序文には、「花に鳴くうぐひす」として桜とともに登場し、それ以降、美しき春の景物として詠まれ続けてきた「鶯」。そんな春告げ鳥の糞が、麗らかな陽の射す縁側で楽しみに食べようとしていた餅に落ちる。その滑稽さは、それまでの文芸史すら嘲笑うかのような表現です。この句は門弟、杉風に出した手紙のなかで披露されました。そしてこうした句こそ自分がいま日々工夫しているところであると添えました。


平安の歌人、西行に憧れて旅を重ねた芭蕉。常に日常への鋭くも優しい視点に立脚し、文学的権威には背を向けました。少しの滑稽さを交えつつ、表現が簡素であればあるほど読み手に深みを感じさせ驚きをもたらす表現、それが彼が最終的に目指した「かるみ」という境地だったのです。



(根本 知)

「ひとうたの茶席」2年目の「俳諧・俳句編」は今回が最終回となります。ご覧いただいた皆様、誠に有難うございました。

 

うたと一服




おくの細道むすびの地、大垣の銘菓、柿羊羹を選びました。


江戸時代から伝わる濃厚な味わいが、旅の終わりに暖かな安らぎを運んでくれました。



菓子:御菓子 つちや(大垣)






 

表具:台紙貼り表具 古代絓 特注染め、和更紗、軸先 鍋島焼 飛翔紋 阪井くらら作

料紙:写真印刷


同様の作品を、ご希望の歌やお手持ちの裂地で作成いたします。

お気軽にご相談ください。









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