桐一葉 日当たりながら 落ちにけり
−高浜虚子
芭蕉とその弟子たちを追った俳諧の旅。前々回からの3回は、「俳句編」として、正岡子規とその思想を受け継いだ俳人たちの句をご紹介しています。
伊予松山藩の士族の出で、勉学優秀だった高浜虚子。十七歳で子規と対面し、学生時代は子規を慕って文芸に志します。
虚子と、その師である子規との間にこんなエピソードがあります。道灌山というところにある茶店で休んでいた二人。夕暮れになってきた茶店の下の崖には、白い夕顔の花が咲き始めました。それを見た子規は、今まで夕顔の花には源氏物語からくる歴史的な感じのみであって、俳句を作る場合にも空想的になっていたが、今はそれがない。写生的趣味が頭を支配するようになった、と虚子に伝えました。
すると虚子は、空想的なものを一掃してしまうのは、せっかく古人がこの花に対して付与してくれた種々の趣味を破り捨てることであって、例えば名所などから歴史的な連想を取り除くのと同じである。名所も半分は山水など写生的趣味の上にあるが、半分は歴史的連想の上に美がある。夕顔の花も同じではありませんか、と説いたのです。このやり取りから分かることは、虚子の俳句美学を支えているのが、歴史的連想から生まれる古人との「時間」の共有なのだということです。
桐一葉 日当たりながら 落ちにけり
今回取り上げたこの句も、以前「ひとうたの茶席」和歌編(第11回「近以遠論」)で取り上げた淮南子の一節を受けてのものです。これまでの人間の営みに想いを馳せ、それを静かに見つめる姿が虚子の句にはあるのです。
二十一歳の頃、虚子は喀血した子規から文芸上の後継者となるよう促されますが、それを辞退し、『国民新聞』の選者となって職業俳人として働き始めます。二十四歳で俳句雑誌『ホトトギス』の編集発行人となって牙城を築きますが、子規の逝去以降、俳句とは距離を置き、しばらく小説を盛んに書いて過ごしました。
当時の俳壇では、河東碧梧桐の新傾向俳句が流行していましたが、季題(季語)、そして五七五調を重んじていた「有季定型」派であった虚子は、碧梧桐の俳句に対して良い印象をもっておらず、むしろその動向を危惧していました。しかしついに腰を上げ、本格的に俳壇に復帰します。編集していた『ホトトギス』では順調に後進が育成されており、黄金期を迎えていました。その中で虚子は、「花鳥諷詠」という理念を唱導するのです。これは、ただ花と鳥とを詠うという意味ではありません。花鳥という二字によって、四季の移り変わりとそれに伴う現象を描写して、自身の感情を人に伝えることをいうのだと説明しました。
続けてこう言います。
「俳句は目に見た景色を写すのである。しかしながら、その風色を写す動機は、作者の感動である。ただ、その感動を歌には言葉に現すが、俳句には言葉に現さない。例えば、「古池や蛙飛び込む水の音」といったのは、ただ景色を叙しただけのものである。が、その景色を叙したのは、芭蕉の心がその景色を叙さねばならん衝動に駆られたのである。我らがこの句を咏じて感動するのは、その景色に感動するばかりでなく、芭蕉の心に感動するのである」
ここで注目すべきは、「俳句には言葉に現さない」作者の心の状態があるということ。読み手がその情景を共有することで、心が共鳴する。その効果を虚子は期待しているのでしょう。
(根本 知)
うたと一服
ふんわりとした淡雪で黄身餡を包んだ「つるの子」。
驚くようなきめ細やかさと上品な味わいで、多くの茶人たちにも愛されています。
菓子:西岡菓子舗(松山)
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