花をのみ 待つらむ人に山里の 雪間の草の春をみせばや
−藤原家隆
花が咲くことばかりを待ち望む人。そんな人たちに、山里につもる雪の間から芽吹く若草の、そこにすでにある「春」というものを見せたいものだなぁ。そう詠ったのは鎌倉時代初期に活躍した歌人、藤原家隆(1158〜1237)でした。家隆は『新古今和歌集』の撰者のひとりとして生涯でたくさんの和歌を詠んだことでも有名でしたが、そのなかでもこの一首を見出し、自身の茶の湯の理想としたのが千利休です。
古来、数多い茶書のなかでも最も重要視されてきた書物に『南方録』があります。残念ながら現在は偽書と位置付けられていますが、成立としては利休の茶の精神や実技のわざを伝えた原型があって、それを土台に体系化されたものです。創作者である立花実山が利休賛美のための加筆をしたのではないかとの見解も多く見受けられますが、いずれにせよ、利休の茶を知るうえで見過ごすことのできない『南方録』には、さきの家隆の和歌が利休の「わび茶の理念」として取り上げられています。
南方録では和歌が紹介されたのち、世上の人々がそこの山や、かしこの森の花がいつ咲くのだろうかという話題で明け暮れていて、自分の心のなかにすでに花があることに気づいていないということが指摘されています。ただ目に見えるものばかりを楽しむのではなく、自身と向き合うことの大切さがそこには説かれています。
これは利休が目指した「わび茶」の心構えを知るうえで、とても重要です。「わび」というはっきりと定義することが難しいこの言葉を紐解くうえでも、手がかりとなるものでしょう。哲学辞典や、日本国語大辞典などをひらくときにまず注目されるのは、「わび」が動詞の「わぶ」をもととして、モノやコトへの不足不満を意味するということです。これが美の概念として用いられるようになったのは室町時代の歌論以降ですが、茶の湯の影響によって徐々に定着していったとされます。
また、武野紹鷗(1502〜1555)から若き利休に宛てたとされる「紹鷗侘びの文」(『新修茶道全集』巻八所収)には、
「侘(わび)と云ふこと葉は、故人も色々に歌にも詠じけれ共、ちかくは、正直に愼み深くおごらぬさまを侘と云ふ」
とあります。「わび」という言葉は、昔の人もいろいろと歌に詠まれましたが、正直に慎んでおごらない様子を「わび」といいました。その「慎んで深くおごらぬさま」が茶人に備わることを紹鷗は理想としていますが、モノを見る眼差しにもまた「慎み」が必要だと気づかされます。
慎み深い眼差しで日常を見直したとき、すでに目の前にあったのに見逃していたことがらに気づく。利休のいった「自分のなかにすでにある花」というのもまた、眼の前に飾り立てられた派手さはなくとも、慎んで周囲を見渡したり、ときには想像することで心に浮かび上がる情趣を見よ、とのことなのでしょう。したがって「雪間の草の春」とは、人間でいえば心の動き、つまり「感動」ではないかと私は理解しています。
わかりやすい感動や、衝撃的なものではないとしても、日常生活のなかで心動かされる機会は溢れています。そのことに気づかずに通り過ぎてしまっては勿体ない。小さな感動を見逃さないことが自身を成長させ、きっと別の新たな発見にもつなげてくれるのです。
利休が示した家隆の和歌は、慎みの姿勢の大切さを、今なお我々に伝えてくれます。
(根本 知)
うたと一服
遠出を控えていた頃、近所を散歩していて見つけた小さな和菓子屋さんのおはぎを選びました。
義父から譲り受けた、黒薩摩のお茶碗で。
おはぎ:間(あわい)(東京/つつじヶ丘)
(山平 昌子)
表具:和紙・ヨーロッパ更紗
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※第二首は、2020年10月23日(金)に公開予定です。
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